コミヤジンスキーワールド3(歴史…?クイズ)

 【2019年4月3日更新】

新年度になってこのシリーズ初の更新です。

  1.  第2次世界大戦末期、ドイツが開発した超重戦車(車重188t、主砲128㎜、副砲75㎜)の、変にユーモアたっぷりなニックネームとは?
  2.  日本海軍で使われた、食事に関するあるものを指した隠語です。「艦隊入港用意」とはなんのこと?
  3.  若き日の山本五十六。ある施設から出入り禁止を喰らっていました。その施設とは?
  4.  北アフリカ戦線で活躍した「ロンメル元帥」。ドイツ軍兵士は親しみを込めて何と呼んでいた?
  5.  日本が連合軍向けに行ったプロパガンダ放送。女性アナウンサーは、意外とアメリカ兵に人気があったそうですが、彼女はアメリカ兵から何と呼ばれていた?
  6.  ナポレオンの言葉です。「欲しいものは私になんでも言うがよい。ただし、○○以外だ。」さて、○○とは?
  7.  強制収容所「アウシュビッツ=ビルケナウ」の門に書かれていた現実とは正反対の標語とは?
  8.  日本海海戦終了後、日本軍に救助されたロシア兵。感謝の気持ちを日本軍の水兵に伝えるつもりだったのですが、その水兵にぶん投げられてしまいました。いったい何故?
  9.  ドイツ空軍のエース、「Hans Ulrich Ruder(ハンス ウルーリッヒ ルーデル)」。あまりの活躍にスターリンは何と言った?また、彼に対してどうした?
超重戦車「マウス」(イメージ画)
山本五十六元帥 像
エルヴィン・ロンメル元帥 像
ナポレオン・ボナパルト 像
ハンス・ウルーリッヒ・ルーデル 像

答え

  1. 「マウス(Maus:ねずみ)」。巨大(現代に至るも世界最大)な戦車のニックネームが「マウス」とは、生真面目なイメージのドイツ人のユーモアでしょうか。或いは、アメリカ人のも戦争ドラマ「コンバット」で、大柄の兵隊を「リトル・ジョン」という名前にしている(※もともとはロビンフッドに出てくるキャラクター?)ことからも、これが西洋人の感覚なのかもしれませんね。なんで、こんな物作っちゃったの?やっぱりドイツ人って、よく分からん・・・と思ってたら、日本陸軍もほぼ同じ着想を基に同じくらいの戦車を作ろうとしたそうです。
  2.  爪楊枝。船が入港すると、奥さん(妻)のところに用事(楊枝)を済ませにいくからだそうです。
  3.  モナコのカジノ。ギャンブル好き(※「ギャンブルをしない男はロクな奴ではない。」と公言していたとか)で実際に、賭け事は非常に強かったそうです。
  4. 「Unser Vater(我らが親父)」と呼ばれていたそうです。(※「砂漠のキツネ」という異名が有名ですが、こちらは元々連合軍が付けたもので、当時前線にでて指揮するロンメルを兵士も父親のように慕っていたようです。)
  5. 「Tokyo Rose(東京ローズ)」(※戦後進駐してきたGHQはある一人の日系人女性を、「東京ローズ」として連合軍兵士の士気低下を図った国家反逆の罪で訴追し。その女性は有罪となり服役したが、東京ローズは実際には複数人いたとみられ、服役した女性が果たして東京ローズであったかどうかは、今もってあいまいなままです。)
  6. 「時間」。確かにこればかりはさすがのナポレオンでも、どうにもならなかったでしょう。
  7. 「Arbeit mact frei(働けば自由になる)」と書かれていたそうです。
  8.  ロシアの習慣で、日本軍水兵にキスをしようとしたが、当然日本にはそのような習慣がないので、水兵は襲われたと勘違いし投げ飛ばしたそうです。
  9. 「ソ連人民最大の敵」。10万ルーブルの懸賞金をかけた。(現在の貨幣価値でおよそ1億円)
爪楊枝(イメージ画)
card & chip(イメージ画)
東京ローズとして訴追されたアイバ・戸栗・ダキノ 像
ドイツ空軍急降下爆撃機「スツーカ」(イメージ画)

 本日はこれまで。今回も裏取りが不十分な問題もあります。話半分でお楽しみください。なお、毎度のことながら(※)はオカヒデの加筆です。

【2019年3月28日更新】

  本日の問題は、年代にかなりの幅があります。

  1.  日露戦争時、日本軍はウラジオストク艦隊の通商破壊戦に悩まされていた。跳梁跋扈する敵艦隊の補足殲滅が喫緊の目的なのだが、一向に敵を捕らえることが出来ずにいた第2艦隊」と司令長官上村提督は国民の批判に晒されていました。捕捉失敗の原因の一つに、日本海でしばしば発生する濃霧がありましたが、その報告が公表されると、帝国議会において野党議員から何と言ってののしられた?
  2.  朝鮮戦争が勃発し北朝鮮軍がソウルに迫ると、時の韓国大統領「李承晩(イス・ンマン)」は、いち早くソウルを捨てて逃げ出す手はずを整えましたが、ただ逃げ出すだけでは飽き足らず、北朝鮮軍の追撃を逃れるためあるとんでもない策を講じました。その、聞くだけでも恐ろしくとんでもない策とは?
  3.  前漢の初代皇帝「劉邦」、戦いに敗れ家族を連れて逃げる際、家族の載った馬車を軽くするため「劉邦」が投げ捨てていったものとは?
  4.  クリミア戦争で活躍したナイチンゲール。彼女は医療現場での不具合に着目し、ある工夫を行いました。その工夫は今日の病院における必須のシステムとして進化、定着しています。さて、そのシステムとはいったい何?
  5.  旅順港閉塞作戦で補給路を断たれたロシア軍。その結果当然新鮮な野菜や果物も手に入れられなくなり、ビタミン不足による壊血病が発生しました。これが、ロシア軍の敗因の一つとなったともいわれています。ところが、ロシア軍が降伏したのち、日本軍がロシアの要塞の中を調査すると、そこには日本人ならば壊血病を回避できたであろう、日本人にとってはごく一般的な食材が大量に残されていたそうです。いったいそれは何?
  6.  日露戦争当時、日本軍は多数の脚気患者に悩まされていました。ビタミンB1の欠乏が原因で心不全など命に係わる症状を引き起こす脚気ですが、当時は原因がわかっておりませんでした。西洋人には脚気患者がいないことに注目した海軍軍医高木兼寛は、食生活の違いが原因ではないかと考え、ある実験を行いました。今日では医学の発展に欠かせないある実験とはいったいどんなこと?
  7.  クリミア戦争(1853年~1856年)において、ロシアの皇帝ニコライ1世は戦場に残されたおびただしい数のあるものを加工して販売しました。その戦場に残されたあるものとは何で、どのように扱われた?
  8.  イギリスではラム酒のことを「ネルソンの血」と呼ぶことがあるそうですが、それは何故?
上村提督 像
李 承晩(イ・スンマン) 像
劉 邦  像
フローレンス・ナイチンゲール 像
海軍軍医総監 高木兼寛 像
ホレーショ・ネルソン提督 像

答え

  1. 「濃霧、濃霧と言うが、濃霧(のうむ)は逆さに読めば無能(むのう)なり、上村は無能である。」と批判されました。(※民衆からは「露探(ろたん)提督」(ロシアのスパイという意味)と誹謗中傷されたうえ、自宅に投石されましたが、上村は意に介さず、のちに蔚山沖海戦でウラジオストク艦隊に大勝すると、国民は手のひらを返したように上村提督をもてはやしたそうです。
  2.  市民にはソウルを死守するよう命じ、自らは、北朝鮮軍の追撃を遅らせるため、未だ多数の避難民が渡っている途中の漢江にかかる橋を爆破させ、多数の犠牲者を出しました。
  3.  自分の子供。劉邦が子供を投げ捨てると、それを家臣の夏侯嬰(かこうえい)が拾い馬車に戻しましたが、劉邦はそれを、更にまた投げ捨て、これは3度繰り返されたそうです。
  4.  ナースコール。といっても当時は電気仕掛けではなく、紐と呼び鈴が使われていたようです。前線の病院には多数の傷病兵が横たわっており、特に夜間などは誰かがナースに助けを求めても、それを判別することはなかなか困難でした。そこで傷病兵の枕元にそれぞれ紐を張っておき、助けが必要な者が枕元の紐を引っ張ると、誰が助けを求めているかすぐに分かるようにしたとのことです。
  5.  要塞のトーチカの中には大量の大豆が残されていたそうです。薄暗く湿気のこもったトーチカの中ならば、後は水さえあれば簡単に大豆もやしを作ることが出来ます。大豆もやしはビタミンCを含んでおり、壊血病の予防に役立ったはずです。もし、ロシアが大豆もやしを知っていたならば、勝敗の行方は変わっていたかもしれませんね。
  6.  臨床実験。高木兼寛は軍艦「筑波」による遠洋航海実験を行い、毎日の食事を洋食にしました。その結果は、彼が考えたとおり脚気患者は発生しませんでした。当時(1880年代後半)は陸軍を含め軍隊での食事は、精米の度合いを高めた白米食が至上のものとされていましたが、高木は「筑波」での実験結果等を基に麦飯を推奨し、その結果日露戦争において陸軍が1万6千人以上の脚気による死者を出したのに対し、海軍における脚気患者を激減(※一説では八十数名)させることが出来ました。(※ただし、高木が考えたたんぱく質不足説は正確には正しくありませんでした。なお、高木のこうした取り組みが、のちの海軍カレーに結びついています。)
  7.  当時のロシア兵の殆どは農奴出身者であったため、支配階級から見ればほとんど物に等しいものでした。このため兵士の遺骨は粉砕され肥料として販売されたそうです。(※これについては裏付け史料が十分ではありません。また、ニコライ1世はある程度農奴の待遇改善のための法律を作っていることも付け加えておきます。)
  8.  トラファルガーの海戦で戦死したネルソン提督の遺体をイギリス本国に持ち帰るため、提督の遺体はアルコール度数の高いラム酒(※ブランデーという説あり。)の樽に付け込まれたそうです。しかし航海の途中、提督の偉大さにあやかろうと水夫たちが樽の中のラム酒を飲み尽くしてしまい、帰国したときには樽は空になっていたとのこと。それ以来ラム酒を「ネルソンの血(Nelson’s Blood)」と呼ばれているそうです。(※諸説あります。)
もやし(イメージ画)
ラム酒(イメージ画)

 本日はこれまで。今回は裏取りが不十分な問題もあります。なお、毎度のことながら(※)はオカヒデの加筆です。

【2019年3月20日更新】

 今回もオカヒデ自身が細部にこだわり過ぎて、更新が間を開けてしまいました。そのこだわり部分は本日の回答のイラストにありますのでお楽しみに!

  1.  平成6年2月、慰霊のため今上天皇・皇后両陛下が硫黄島を御訪問なされました。それ以来、硫黄島では夜な夜な起きていたあることが起きなくなったそうです。それは何?
  2.  第2次世界単線を戦い抜いたウィンストン・チャーチル英国首相(※と言っても1975年7月の総選挙で大敗したため、有名なポツダムでの会談の途中で一度首相を辞しています)。戦意高揚のため?彼が始めたといわれるポーズとは?
  3.  そのチャーチル。戦後に有名なある賞を受賞しています。いったい何賞?
  4.  第2次世界大戦末期1945年4月30日、追い詰められたヒトラー総統はついに、ベルリンの総統官邸地下壕で自殺をとげました。すると、何より先に側近たちはヒトラーが禁じていたあることをし始めたそうです。それは何?
  5.  日本陸軍の軽機関銃には、外国の軽機関銃にはないある特徴がありました(全てではないかもしれませんが)。いったいどんな特徴
  6.  日本軍の小銃は(小銃だけではなく、全般的に言えることですが)、非常に困った特徴がありました。それは、残念なことに終戦に至るまで完全に解消されることはありませんでしたが、いったいどんな特徴だったでしょう?
  7.  第2次世界大戦時、悪名高いアウシュビッツ強制収容所などで看守をしていたイルマ・グレーゼ(Irma Grese)。彼女は強制収容所で行った数々の残虐行為により、ニュルンベルク裁判において死刑判決を受けました。刑の執行に際し、絞首台への階段を上がるように促された彼女は、最後に何と言い放った?
  8.  イルマ・グレーゼは生前(戦争中)、戦争が終わったら女優になって映画に出演したいと語っていたそうです。しかし死刑判決を受けた彼女、女優となる望みは叶えられなかったのですが、映画に出演するという願いは叶えられました。いったいどんな映画に出演した?
硫黄島(イメージ画)
ウィンストン・チャーチル 像
アドルフ・ヒトラー 像
99式小銃 (イメージ画)

イルマ・グレーゼ 像

答え

  1.  夜ごと起きるラップ音などの心霊現象(※硫黄島勤務の経験がある人から直接聞いた話では軍靴で行進する足音や色々なラップ音が当たり前のように聞こえていたそうです。)が、陛下のご訪問後ピタリと止んだそうです。
  2.  勝利のVサイン。
  3.  ノーベル文学賞(第2次世界大戦の回顧録がベストセラーとなったそうです。※ただし本人はノーベル平和賞が欲しかったので、文学賞受賞ではあまり喜んでいなかったということです。)
  4.  喫煙(※健康オタクだったヒトラーは、自身は勿論ですが、周囲の者にも禁煙するよう命じていたそうです。)
  5.  銃剣がつけられるようになっていた。日本陸軍では機関銃手にも銃剣突撃を命じていたようです。
  6.  当時の日本の工業力は大量生産性においてアメリカに大きく後れをとっており、小銃の製造工程においても手作業に依存する部分が多く、このため同じ38式小銃でも部品の互換性がないことがあった(※99式小銃ではやや改善されている)。また使用する弾丸についても銃の種類によってまちまちであり、互換性が低かった。
  7. 「Schnell!(早く済ませて!)」と言ったそうです。
  8.   ナチスドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判の記録映画
ピースサイン(イメージ画)
ドイツのタバコ(イメージ画)
99式軽機関銃(オカヒデ作)
銃剣(イメージ画)

 本日はこれまで。今回の問題も概ね裏が取れました。なお、今回も5問目の問題用の「軽機関銃」のイラストが無かったので、今回オカヒデがパソコンで描いたのですが、またしても細部にこだわり過ぎて、前回の更新から10日以上経ってしまいました。また、毎度のことながら(※)はオカヒデの加筆です。

【2019年3月8日更新】

今回は、軍事オタクコミヤジンスキー画伯の本領を発揮した問題がメインです。

  1.  米軍は日本の軍用機にそれぞれニックネーム(公式なものは「コードネーム」)をつけて呼んでいました。「隼」は「オスカー」、「二式大艇」は「エミリー」という具合。では日本海軍の爆撃機「一式陸攻」には、公式なコードネーム「ベティー」の他に、その致命的な構造的欠陥を突いて何と呼んでいた?
  2.  日露戦争時、ロシア兵が日本軍に降伏する際、彼らが叫んだ日本語とは何?
  3.  様々な奇襲・極秘作戦に従事した武装親衛隊の「Otto Skorzeny(オットー・スコルツェニー)」。連合軍から何と呼ばれていた?
  4.  北アフリカ戦線におけるドイツ軍の英雄(撃墜王)「Hans J Marseille(ハンスJマルセイユ)」。大ファンが多く(多数はドイツの独身女性)彼のもとには毎日ファンレターが多数寄せられていました。通常、戦時にはいかに英雄とはいえ、兵士個人の配属先(住所)などは秘匿されるものなのに、戦時中にどうやって彼のもとにファンレターが届けられていたのでしょうか?
  5.  史上最強のスナイパー「Simo Häyhä(シモ・ヘイヘ)」(フィンランド人)。スナイパーとして542人(狙撃によるもののみの公式記録)もの敵兵を倒したと言われるが、ソビエト兵からは何と呼ばれ恐れられていた。
  6.  前述のシモ・ヘイヘが、狙撃の際に注意していたこととは?
二式大艇(エミリー)イメージ
betty
一式陸攻(Betty) (オカヒデ作)
オットー・スコルツェニー 像
ハンスJマルセイユ 像
シモ・ヘイヘ 像

答え

  1. 「ワンショットライター」。一撃を加えると簡単に火を噴いたため。今日の航空機では当たり前のインテグラルタンク(機体内に別個に燃料タンクを設けるのではなく、主翼や胴体の区画を水密構造とし、丸ごと燃料タンクとする方法)。機体の軽量化と燃料搭載量最大化が可能だが、防弾処理をしないと簡単に弾丸が貫通して火を噴くため、軍用機には不向きだった。
  2. 「Мацуяма(マツヤーマ)」。松山の捕虜収容所を指した。当地での捕虜の待遇が大変良いことへの評判がロシア軍にも知れ渡っていた。
  3. 「ヨーロッパで最も危険な男」。特に、幽閉されていた「ムッソリーニ」救出作戦を成功させた功績は有名。
  4. 「Stern Von Afrika(アフリカの星)」と書いただけで、彼のもとに届けられたから。「アフリカの星」とは、アフリカ戦線で活躍した彼の通称。(※「撃墜王 アフリカの星」という映画にもなっています。)
  5. 「белоя смерть(ベーラヤ スメルチ・白い死神)」
  6.  スコープは光を反射するので使用しなかった。また、口から白い息が出るのを防ぐため、口に雪をふくんでいた。
「アフリカの星」と書いた手紙のイメージ
モシン・ナガン銃(狙撃銃)のイメージ

シモ・ヘイヘが愛用した狙撃銃 何とロシア製

 本日はこれまで。今回の問題は、概ね裏が取れました。なお、一問目の問題で「一式陸攻」のイラストが無かったので、今回オカヒデの得意技であるパソコン画の一式陸攻を入れました。ちゃちゃっと描くつもりが、悪い病気が出てディテールにこだわり過ぎ、おかげで前回の更新は3問しか更新できませんでした。また、毎度のことながら(※)はオカヒデの加筆です。

【2019年3月4日更新】

 久しぶりのこのシリーズの更新です。今回も検証に時間をかけすぎてしまい、3問しか書けませんでした。

  1.  昭和二年?の帝国海軍観艦式における艦上レセプションでの出来事。甲板上には各界から多数の来賓が来ており、なかには皇族の方や陸軍の将官もいました。その甲板上で、モップを持って清掃していた水兵と東郷平八郎元帥が鉢合わせをしてしまいました。その後のやり取りを見ていた侍従武官長の奈良武次陸軍大将は、「自分は今日、恐ろしいものをみた。あり得べからざることだ。」と語ったそうです。それは当時の陸軍ならば到底考えられないことだったそうですが、果たして水兵と東郷元帥との間に、どんな恐ろしいことが起きたのでしょうか?
  2.  終戦直後、日本に進駐したダグラス・マッカーサー元帥。日本に来て真っ先に行ったことの一つに、ある人物の捜索がありました。その人物とは本間雅晴陸軍中将(終戦時には予備役)だったのですが、彼を捜索した目的とは?
  3.  太平洋戦争前の1930年代後半、日本の陸・海軍部はドイツのダイムラーベンツ社から航空機用エンジンの製造ライセンスを得ようと、交渉を始めました。この時、当時の陸・海軍らしいことをしてしまいました。それはいったいどんなこと?
モップとバケツのイメージ図

海軍ではモップのことを「ソーフ」と言います。

ダグラス・マッカーサー元帥 像
本間雅晴陸軍中将 像

答え

  1.  清掃していた水兵、東郷元帥の靴が邪魔だったため東郷に向かって「ちょっとそこの長官、退いて下さい。」と言った。すると東郷も少しおどけて「はいよ!」と言いつつ少し高いところに移動したそうです。当時の陸軍では、たとえ役目とは言え、一兵卒が将官に対して声をかけることなどありえないことで、ましてや当時「聖将」とまで言われた東郷元帥に対し、「そこをどけ」とは、天地がひっくり返っても考えられないことだったのでしょう。
  2.  本間雅晴陸軍中将を戦犯として逮捕、起訴するため。本間元中将は、太平洋戦争の初頭、マッカーサーをフィリピンから逃走させた指揮官であり、この逮捕、起訴の罪状は、いわゆる「バターン死の行進」に対してであったが、本間はこの死の行進には直接関与しておらず、逮捕、起訴はマッカーサーの私怨と言われている。判決は当然のごとく有罪(死刑)となったが、連合国側もさすがに良心が痛んだのか、処刑に際しては、当時多くの死刑執行方法が軍人としての名誉を与えられない、囚人服を着せられた上での絞首刑であったのに対し、本間に対しては軍服の着用が認めら、銃殺刑に処された。
  3.  当時めちゃくちゃ仲の悪かった日本帝国陸・海軍。海外メーカーとのライセンス契約に際しても、その悪習は治らず?それぞれ個別にダイムラーベンツ社とライセンス契約を結んだ。(※この時のライセンス料は、当初ダイムラーベンツ社が提示した金額が高すぎたため交渉は決裂しかけたのだが、この時仲を取り持ったのがナチスドイツ政府だった。のちにこのライセンス契約の話を聞いたヒトラーは、「日本の陸軍と海軍は敵同士か?」と皮肉ったというエピソードがあります。陸・海軍でそれぞれ別個にライセンス契約理由には、契約会社のエンジン生産能力の限界によるという説もあります。)

 このシリーズ、コミヤジ画伯からは既にたくさんの原稿をもらっておりますが、私も入り込みすぎて相変わらず数がこなせません。なにとぞご容赦お願い申し上げます。なお「※」のコメントはオカヒデの加筆です。

【2019年2月23日更新】

本日もまた、太平洋戦争に関する問題です。

  1.  1930年代後半、急降下爆撃機が発達すると、これから投弾された爆弾が飛行甲板を貫通し格納庫で爆発した場合、致命的打撃を被ることを恐れた(事実、ミッドウェー海戦においてこの悪夢は現実となった)日本海軍は、 翔鶴型空母の次の世代の空母の飛行甲板に装甲を施すことにしました。こうして誕生したのが空母「大鳳」で、その装甲を施した飛行甲板は1000ポンド爆弾の直撃にも耐えられるものでした。ところが、その「大鳳」、就役からわずか3カ月であっけなく撃沈させられてしまいました。いったい何故?
  2.  硫黄島の攻防戦が終了して間もないころ、米軍将校が生き残った日本兵たちにある同じ質問をしたそうです。それは栗林中将に関することなのですが、日本兵たちのほとんどはその質問に対し「YES」と答え、質問者を驚かせたそうです。はたしてどんな質問だった?
  3.  キスカ島からの撤収作戦のときのエピソードです。少しでも迅速に撤収を完了させるために、当時としては信じられない行為が許可されました。それはどんなこと?
  4.  撤収作戦に際し、あとで上陸してくるであろう米軍を混乱させる目的で、恐ろしい置き土産?を残していきました。それは、直接人員に危害を与えるトラップ等ではありませんが、それを見たらおそらく誰もが恐怖を覚えること間違いなしというしろものでした。いったい何を残していった?
  5.  歴史問題とはちょっと離れた息抜き問題。天才ビートたけし往年のギャグネタから。戦後、アメリカ兵にチョコレートをもらった子供。最初はおいしそうにチョコを頬張りますが、途中で吐き出してしまいます。いったい何故だったでしょうか?
空母「大鳳」(イメージ)
栗林忠道 帝国陸軍中将(戦死認定後大将)
日本帝国陸軍中将 樋口季一郎 中将 像
日本帝国海軍 木村昌福 少将 像
ビートたけし 像
アメリカの代表的チョコレート「HERSHEY’S」(イメージ)

答え

  1.  米海軍潜水艦「アルバコア」から発射された6本の魚雷のうちの1本が命中。ただし、これだけなら沈没には至らなかったはずでしたが、魚雷の爆発により艦内のガソリンタンクからガソリンが漏れ出しました。その後気化したガソリンが艦内に充満、着火原因については諸説挙げられていますが、その後大鳳は大爆発を起こし沈没しました。艦内用航空機の燃料として大量のガソリンを搭載する空母は、ガソリンの取り扱いには相応の配慮がなされていましたが、当時の電気溶接技術が未熟だったため、魚雷の爆発の影響でガソリンの配管が外れたことがガソリン漏洩の原因と言われています。
  2. 「栗林中将の顔を知っているか?」という米軍将校の質問に、殆どの日本兵は「知っている。」と答えたそうです。日本陸軍においては普通、一兵卒が師団長クラスの人物を近くで見ることなどあり得ないと考えられていたため、米軍は驚いたようです。では何故、ほとんどの兵隊が栗林中将の顔を知っていたかといえば、栗林中将は終日島内を視察し、一兵卒に対しても分け隔てなく激励の言葉をかけ、煙草を与えたりしていたからだそうです。
  3.  救出に来た海軍艦艇に乗艦する際、小銃を海中に投棄させたそうです。当時の日本陸軍兵標準装備の38式歩兵銃には菊の御紋が刻印されており、粗末に扱うことは厳しく戒められていました。いわば歩兵にとっての魂ともいうべき歩兵銃を投棄するという判断には、現地の陸軍内部にも反対意見があったようですが、陸軍指揮官樋口季一郎中将の「人命第一」という、当時としては考えられないような大英断により、約5,200名ものキスカ守備隊員をわずか55分間に陸岸から沖合の軽巡洋艦や駆逐艦に収容するという離れ業を成し遂げました。当時はこの奇跡の撤収作戦の成功に対する評価は芳しいものではありませんでしたが、今日では太平洋戦争中、陸軍と海軍が連携して作戦を大成功させた唯一の例と評されています。
  4. 「ペスト患者収容所」と書いた看板を現地の兵舎前に立てて置いて行ったそうです。この看板を英訳したのが、のちに東日本大震災を契機に日本に帰化された日本文学者のドナルド・キーン氏だったそうで、その意味を知った米軍は一時パニックに陥ったそうです。(※ それ以外に、上陸後日本軍が完全撤退したことに気付かなかった米軍は、各地で同士討ちを引き起こし、約100名の戦死者と数十名の負傷者を出したそうです。)
  5.  兵隊からもらったチョコレートはアーモンドチョコレートで、中に入っていたアーモンドを、食べたことのない日本の子供は種だと思って吐き出した。(※ 事実かどうかについては、一切関知しません。悪しからず。(By オカヒデ))
当時の日本の代表的たばこ「響」のイメージ
38式歩兵銃(イメージ)
ドナルド・キーン 像
アーモンド(イメージ)

 いかがでしたでしょうか?たびたび「このシリーズについては単なる娯楽物として読んでください。」と書いていますが、それでも一応事実確認を行っています。(本日の最後の問題は例外です。)そうすると、ついつい史料を読みふけってしまうため、なかなか検証作業が進みません。お楽しみ下さる方のためにも、もう少しスピードアップしたいところですが、やはり間違った内容を公表することには抵抗があるためご容赦のほど、心からお願い申し上げます。(なお、「※」のコメントはオカヒデの加筆です。)

【2019年2月19日更新】

 新コーナー始めてみましたが、やはり一通りの検証作業は必要と考え、ページの更新と同時進行で検証作業をやるのですが、これがかなり大変。というわけで、言い訳がましく今日もクイズ始めます!

  1.  先ずは戦時中の標語から。政府が国民の戦意高揚のために流布した標語が、いたずら心からか皮肉からか、度々一文字加えたり削ったりして世相を揶揄するジョークに読み替えられました。そのような、当時の世相を反映した問題です。「足らぬ、足らぬは、工夫が足らぬ。」これは物資が極端に不足していた当時、「足らない。」と嘆く前に工夫を凝らしなさいとの戒めの標語でしたが、世間ではこれを何と皮肉った?
  2. 「贅沢は敵だ!」これもまた、前問同様贅沢を戒め、戦意を高揚するためのスローガンであったが、世間は何と皮肉った?
  3.  撃墜王「坂井三郎」のラバウル航空隊時代の有名なエピソードです。彼は仲間二人(※いずれも日本海軍のエースパイロット)と共に合計三機の零戦で、敵基地(※ニューギニア・ポートモレスビー)上空で信じられないことをしました。それはどんなこと?
  4.  前問の続き。坂井三郎たちはその行為をやった後、そのことを三人だけの秘密にしておこうと申し合わせていました。ところが思わぬところからその行為が発覚し、上官から大目玉を喰らったそうです。いったいどうして発覚した?
  5.  日本海軍のイ号潜水艦が浮上航行していた時、突然敵機発見。緊急潜航しようにも間に合いそうもない。この時、艦長のとっさの気転で危機を乗り越えました。いったいどうやって乗り越えた?
  6.  太平洋戦争末期、国民は竹やり訓練に励んでいました。しかし、竹やり訓練よりも飛行機を増産する方が大切と考えた新聞記者。「竹やりよりも、飛行機だ。」と新聞に掲載しました。これを政府への批判と受け止めた当時の東条英機首相、懲罰の意味合いから、この新聞記者にしたこととは?
  7.  海軍兵学校(だった?)で出された問題(クイズ?)です。ここに6つの菓子があり、猿が5匹いる。この菓子を平等に猿に分け与えるにはどうすればよい? 息抜きの問題です。
坂井三郎 像
浮上航行中のイ号潜水艦と連合軍哨戒機のイメージ
竹やり訓練のイメージ

答え

  1. 「工夫」の「工」の字を抜いて、「足らぬ、足らぬは、が足らぬ」と嘆いた。結婚しようにも若い男は戦地にいっているので不足が深刻であった。
  2. 「敵」という文字の前に「素」を加えて「贅沢は素敵」と皮肉りました。当時の状況では、贅沢しようにもできなかったでしょうから、庶民にとってのささやかな反骨だったのでしょう。
  3.  三機編隊の宙返りを3回(※2回という説あり)行った。敵も見とれていたのか、攻撃を受けなかったそうです。
  4.  後日、敵の戦闘機が日本の基地に通信筒を落としていった。その中に、坂井たちが行った宙返りのことが書かれていたため発覚したそうです。
  5.  敵機に向かって乗員が帽子を振った。これを見た敵機はてっきり見方だと思い、攻撃のチャンスを逸してしまったそうです。
  6.  招集年齢(※満40歳)を超えていたにも関わらず、一兵卒として招集した。一人だけだと、明らかな懲罰招集と見られてしまうため、
  7.  同じくらいの年齢の男性を40人くらい一緒に招集した。一緒に招集された男性たちは、とんだとばっちりだったでしょう。
  8.  六つ菓子五猿(ムツカシゴザル→難しいでござる。)
日本帝国海軍 艦内帽
ムツカシゴザルの図

 お楽しみいただけましたか? なお、極力検証作業を施しておりますが、検証困難な問題も多いため、くれぐれも娯楽読み物としてお楽しみください。また、他のシリーズ同様(※)書きは編集者オカヒデの加筆です。

【2019年2月16日初公開】

 このコーナー、最初の問題は日本から。

  1.  戦時中、戦地に赴く兵隊はお守りとして懐に5銭玉、10銭玉を入れていたそうです。それは何故?
  2.  1944年10月、台湾沖航空戦(台湾沖の戦い)で大勝利を収めた(実は誤報)日本帝国海軍、日本国内では提灯行列が行われるほど大盛り上がりとなりました。誤報の原因は、未熟なパイロットの報告を上層部が確認も取らず鵜呑みにしたことにありました。のちにそれが誤報と判明してからも、誇大な戦果は訂正されることはありませんでした(メンツを優先したから?)。戦後、このことが世間に知られるようになると、同じような誇大な表現や成果をうたうことを、皮肉を込めて何と呼ばれるようになった?
  3.  戦後、戦犯として逮捕するため東条英機元首相の家にMPが向かいました。当初彼らのイメージでは、簡単に東条邸を探し当てられると思っていたのですが、探せども探せども、一向にそれらしき邸宅を見つけることができませんでした。いったい何故?
  4.  日本の新潟県の捕虜収容所に収容されていた(主にオーストラリア人)捕虜たちが虐待(とんでもないものを食べさせられた)されたと戦後訴えました。それは日本ではごく普通の食べ物なのですが、彼らは誤解したようです。彼らが誤解した食べ物とは?
  5.  ある日本帝国海軍提督の嘆き節です。「我が帝国海軍は全力で○○と戦い、その余力をもってアメリカ(連合)軍と戦っている。」と。さて、帝国海軍が全力で戦っている相手とは?
  6.  戦後、航空自衛隊の育成に尽力したとの理由で、アメリカの将軍に日本政府から勲章が贈られた。しかし、昭和天皇は叙勲を渋っておられたそうです。それは何故?
  7.  海軍では鍛錬の目的でしばしば、艦上相撲を行っていました。これは相撲の弱い水兵にとっては非常につらい鍛錬行事でした。いったい何故?
当時の5銭玉、10銭玉
東条英機 像
土俵(イメージ)

答え

  1.  5銭は4銭(死線)を超えて、10銭は9銭(苦戦)を超えてという意味。
  2. 「大本営発表」。空母や戦艦を合計数十隻も撃沈したと報道した。アメリカの大型艦はなかなか沈まないことは当の帝国海軍が一番分かっているはずなのに、多少ひいき目に見ても信じられないような誤報を信じ、大戦果と発表してしまった。(※面白いことにアメリカの投資家たちがこの戦果を信じたため、一時株価が大暴落したそうです。)
  3.  一時は首相、陸軍大臣、参謀総長まで兼任したほどの重要人物なのだから、さぞかしすごい豪邸に住んでいるものと思って、大きな屋敷を探したが、目指した住所にそれらしき豪邸は見つからず、(※陸軍大臣に就任した昭和15年、世田谷の用賀に建てた私邸は、建坪30坪ほどのつつましいものだったそうです。)探し出すのに苦労したそうです。
  4.  ゴボウ(牛蒡)。その外見から木の根を食べさせられたと誤解したらしい。現在でもゴボウを食べるのは日本人だけだとか。
  5. 「帝国陸軍」当時はどこの国でも陸軍と海軍は仲が悪いものだったが、日本のそれは常軌を逸していた。
  6.  叙勲に推挙されたのが、東京大空襲の立案・命令者であったカーチス・ルメイ米空軍大将(当時)であったから。当時もカーチス・ルメイ大将に対する叙勲に対しては否定的な意見があったそうですが、この時の昭和天皇の心境は如何ばかりであったでしょうか?
  7.  海軍の相撲は負け残りが原則であり、誰かに勝つまで土俵を降りることはゆるされなかったから。
ゴボウ(牛蒡)
カーチス・ルメイ 像

 新シリーズ、いかがでしたでしょうか?スタートは、ほぼ太平洋戦争ネタで少々恐縮ですが、今後出題はワールドワイドに展開していく予定です。なお、極力検証作業を施しておりますが、検証困難な問題も多いため、くれぐれも娯楽読み物としてお楽しみください。また、他のシリーズ同様(※)書きは編集者オカヒデの加筆です。

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